季語講座(2)

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独りよがりな季語で詠まない

ごくまれにですが、

夏惜しむ

というような用法の作品が出現します。

春惜しむ、秋惜しむ

があるのだから、

夏惜しむ、冬惜しむ

もありだと考えての用法だと思いますが、季語の本質を考えたときには普通の感覚では教会を得られにくい季語です。

過ごしやすく草花にも風情の春や秋をが過ぎ去っていきのを惜しむ感興はっても、一日でも速く終わってほしいと思う暑い夏や寒い冬の季節を惜しむというのは正常な感覚ではありえないですね。

同様に

春を待つ、春隣

という風情もありますが、夏や冬の到来を楽しみに待つという感覚は、特殊な地域を除いては通常ありませんね。

季語を文字や言い回しだけで覚えるとこのような間違いを冒します。正しい季節感覚とともに季語のもつ本質をよく勉強しましょう。

「春の鴨」と「鴨(冬の鴨)」とは全く違う意味であることを理解しましょう。また、

初蝶、春の蝶、夏の蝶、秋の蝶、冬の蝶

なども然りです。

たまたま夏に見たから、秋に見たからというので夏の蝶、秋の蝶なのではなくて、それぞれ全く風情が異なるのです。

兼題でこのような季語が発題されたとき、季語の本質をよく理解して取り合わせないと季語が動いてしまします。

[2018-09-03 13:38]